TOTI DAL MONTE (1898 - 1975)
- Bellini - La sonnambula: Ah! non crede mirarti (1929)
- Donizetti - Lucia di Lammermoor: Regnava nel silenzio (1926)
- Donizetti - Lucia di Lammermoor: Splendor le sacre faci (1926)
- Donizetti - Lucia di Lammermoor: Splendor le sacre faci (1928)
- Donizetti - La figlia del Reggimento: Convien partir (1926)
- Donizetti - La figlia del Reggimento: La ricchezza ed il grado (1928)
- Donizetti - Linda di Chamounix: O luce di quest’anima (1929)
- Thomas - Mignon: Io son Titania (1929)
- Bizet - I pescatori di perle: Brahma, gran Dio (1929)
- Bizet - I pescatori di perle: Siccome un di, caduto il sole (1929)
- Verdi - Falstaff: Sul fil d’un soffio etesio (1929)
- Lo, here the gengle lark (Bishop) (1929)
- Carnevale di Venezia (Benedict) (1926)
With Members of La Scala Orchestra, Milan conducted by Maestro Carlo Sabajno 1,7,8 ,10 &11
With Orchestra conducted by Joseph Pasternack 2, 3, & 5
With Members of La Scala Orchestra & Chorus, Milan conducted by Maestro Gabriele Santini 4 & 6
With Members of La Scala Orchestra & Chorus, Milan conducted by Gino Nastrucci 9 & 12
With Orchestra conducted by Rosario Bourdon 13
イタリアの偉大なコロラトゥーラ歌手のリストでは、一般的に アメリータ・ガリ=クルチ とトーティ • ダル • モンテの二人の名前がトップに挙げられている。もちろん、スペインや南米には多くの優れたコロラトゥーラがいたが、この二人のイタリア人はヴィルトゥオーゾの中でも最高の地位に君臨し、何世代にもわたる歌手たちの規範となっている。
ガッリ・クルチとダル・モンテの人気は、二人が吹き込んだレコードによるところが大きい。二人ともレコード業界の寵児であった。トーティ • ダル • モンテは映画に出演したり、ヨーロッパやアメリカのオペラハウスに出演したりしたことで、さらに高い評価を獲得した。ふたりはその困難な歌唱技法を持つことによって名声を得ていたことに変わりはないが、実は二人のプリマドンナには年齢を含め、共通点はほとんどなかったのである。ガッリ・クルチが冷静で禁欲的な印象を与えるのに対し、若いトーティ • ダル • モンテはより官能的であった。彼女の声は甘く、まろやかで温かみのあるもので、ロマン派の時代に高く評価されていた「情熱的なナイチンゲールの声」の一つであった。ベッリーニの「夢遊病の女」やドニゼッティの「ランメルモールのルチア」では、「幻の」役を理想的に解釈していた。彼女の歌唱には、技術的な完成度と表現的な暖かさの稀有な融合が見られた。
トーティ • ダル • モンテ(本名:アントニエッタ・メネゲル)は、ピアニストになるつもりで音楽の勉強を始めたが、当時ヴェネツィアのベネデット・マルチェロ音楽院の院長だった ヴォルフ=フェラーリの助言により、歌唱に転向。5年間、彼女は有名な声楽教育者 バルバラ・マルキージオ のもとで訓練を受けた。1916年、ザンドンナーイのオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」のビアンコフィオーレ役でミラノ・スカラ座の舞台に初登場。その後、イタリアのいくつかの歌劇場で歌い、客演では南米にまで足を伸ばした。
1921年にはスカラ座に戻り、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮の下、伝説的な公演となる「リゴレット」のジルダを歌った。トーティ・ダル・モンテの世界的な名声はこの時から始まっている。ミラノ・スカラ座プロダクションの「リゴレット」は、ヨーロッパの多くの歌劇場、時にはドイツの歌劇場にも客演し、大成功を収めた。トスカニーニの下では、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」を歌った。ジルダ、ルチア、「ドン・パスクワーレ」 のノリーナ、「セビリアの理髪師 」 のロジーナ、「夢遊病の女」 のアミーナは、コロラトゥーラとして最大級の成功を収めた。ヴェルディの「椿姫」のヴィオレッタを演じるようになったのは比較的遅く、これもまた彼女の最も印象的な業績の一つである。
彼女が最も成功したリリコ・ドラマティコの役は、プッチーニの「蝶々夫人」のタイトルロールであり、1939年にはこのオペラの完全録音で「蝶々さん」を歌った。トーティ • ダル • モンテ は、スカラ座だけでなく、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ、パリ、ロンドン、シカゴ、ブエノスアイレス、ベルリン、ウィーン、その他多くの都市で観客を熱狂的に魅了した。第二次世界大戦後、彼女は舞台やコンサートホールから引退し、才能ある若い歌手の育成に力を注いだ。トーティ • ダル・モンテは晩年をイタリアのトレヴィーゾ州バルビザーノの邸宅で過ごした。彼女の名前は 私たちにベルカント芸術の黄金時代を思い起こさせる。
[Clemens Höslinger]
Lebendige Vergangenheit のトップバッターに選ばれたのは、トーティ • ダル • モンテです。この容姿でこの声、さぞ人気だったことでしょう。90年以上前の声がこのように聴けるなんてなんとすばらしいことでしょうか。「連隊の娘」は好きなオペラのひとつなのですが、このオペラを聴くとソプラノとテノールさんの技量がすぐにわかります。もちろんダル・モンテの歌唱は素晴らしい。近年はほぼフランス語上演ですがイタリア語も好きです。「シャモニーのリンダ」は当時上演されたとすれば蘇演と言える演目ではないでしょうか。それともレコーディングのためだけに歌ったのかも知れませんが、完璧です。トマの「ミニョン」も圧巻です。
彼女の声は高音も薄くならないし、中域も充実した厚みです。その特徴が良く現れているのが No.13 のジュリアス・ベネディクト「ヴェネツィアの謝肉祭」だと思います。驚き!と言うほかありません。
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