IRENE MINGHINI-CATTANEO (1892 - 1944)
- Bellini - Norma: Sgombra è la sacra selva (1929)
- Donizetti - La favorita: O mio Fernando (1930)
- Donizetti - La favorita: Pietosa al par di un Nume (1930)
- Verdi - Il trovatore: Stride la vampa - - - Condotta ell'era in ceppi (1930)
- Verdi - Un ballo in maschera: Re dell’ abissoampa (1930)
- Verdi - Aida: L’abborita rivale a me sfuggia (1928)
- Ponchielli - La Gioconda: Figlia, che reggi il tremulo pié (1930)
- Ponchielli - La Gioconda: Voce di donna (1930)
- Ponchielli - La Gioconda: Laggiù nelle nebbie remote (1930)
- Ponchielli - La Gioconda: L’amo come il fulcro del creato! (1930)
- Bizet - Carmen: L’amore é un strano angelo (1929)
- Saint-Saëns - Samson et Dalila: S’apre per te il mio cuor (1929)
co-starring - - - Lionel Cecil 3, 9 Aureliano Pertile 4, 6 Antonio Gelli 4
Delia de Martis 7, 10 Apollo Granforte 7 Guglielmo Masini 9
Leonildo Basi 8 Luiza Lucini 9
Member of La Scala Orchestra, Milan conducted by Carlo Sabajno 1 - 10
With Orchestra conducted by Sir. John Barbirolli 11 & 12
裏表紙の曲目リストでは、No.5が Il trovatore からのアリア "Condotta ell'era in ceppi"になっていますが、実際にはこのアリアはNo.4の "Stride la vampa" と続けて演奏されます。それによってNo.6がNo.5に繰り上がります。以下同様にトラックNo.が繰り上がり、結果、トラック数が一つ少ない12トラックになりますが、収録曲の数は同じです。
ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ の著書「Voci Parallele」の中に、 ジーナ・チーニャ (89016) 、イレーネ • ミンギーニ • カッタネオと共演した「イル・トロヴァトーレ」の記述がある - - メゾ・ソプラノは、共演者を凌駕するかのような成功に見えた - - 。この著名なテノールは、「なぜミンギーニ・カッタネオは、その見事な容姿、素晴らしい歌声、天性の音楽性にもかかわらず、国際的な名声を持つ歌手になっていないのか」という疑問を投げかけている。
私たちの世代の人は、このメゾ・ソプラノが不朽の歌手たちの中にあって、いかに語られることが少ないかをもっと問いかけても良いであろう。ミンギーニ・カッタネオが世界大戦間において、彼女の「分野」における最も重要な歌手の一人であったことを考えると、どうして忘れ去られてしまったのか。その答えは、夫のエットーレ・カッタネオが彼女の声楽の教師であっただけでなく、ミラノの音楽出版社リコルディのディレクターでもあったという事実にあると思われる。イレーネ • ミンギーニ • カッタネオは夫の立場を考慮しなければならなかったのである。あたかも、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の総監督、 ガッティ・カサッツァ の妻であるソプラノのフランシス・アルダ[1]が、夫の立場を考慮し完全に自らのキャリアを放棄したように。
イレーネ • ミンギーニ • カッタネオは1892年4月12日、ラヴェンナ近郊のルーゴ・ディ・ロマーニャで生まれた。マエストロ・チコニャーニから最初の指導を受け、後にエットーレ・カッタネオから指導を受けて、1920年3月22日に結婚。1918年には「イル・トロヴァトーレ」のアズチェーナ役でデビューし、その後、ブレーシャでのマスカーニの「イザボー」に短期でゲスト出演した。イタリアの主要な劇場での公演は彼女の評判を高め、チューリッヒとニースに招待されるようになった。1925年からはヴェローナの常連歌手となり、1928年からはミラノ・スカラ座のメンバーとなった、ミラノでは輝かしい勝利を収めた。その後、コヴェント・ガーデンでは、 ドゥソリーナ・ジャンニーニ (89044) 、 アウレリアーノ・ペルティーレ (89007, 89072, 89116) との「アイーダ」、フョードル・シャリャピン、 マルゲリータ・カロージオ (89616) との「ボリス・ゴドゥノフ」、 ローザ・ポンセル との「ノルマ」と「ラ・ジョコンダ」に出演した。
北米では一度も歌わなかったが、エジプト、ドイツ、オーストリア、南アメリカ、ギリシャ、スペインなどで頻繁に客演していた。また、「ファルスタッフ」や「仮面舞踏会」などのドラマティックなソプラノの役にも挑戦している。レパートリーは27役で、その中にはイゾルデや「ローエングリン」のエルザが含まれており、不定期に出演している。
ミンギーニ・カッタネオは、1944年3月24日にリミニの別荘で空襲により亡くなった。1941年2月12日のミラノの「ラ・ジョコンダ」のチェーカ役がお別れの舞台となった。
手元のディスコグラフィーを見ると、ミンギーニ・カッタネオの録音は41曲、その他 3曲は未発売であることが確認できる。彼女の録音で有名なのは、「アイーダ」、「イル・トロヴァトーレ」、ヴェルディの「レクイエム」の全曲録音である。この素晴らしい声の能力は無尽蔵のものであったようで、彼女の表現力は明快でスリリングなものであった。イレーネ • ミンギーニ • カッタネオは、ドラマチックなアンサンブル・シーンでその能力を最も発揮した。この圧倒的なメゾ・ソプラノは、ペルティーレ、 ワンダ・バルドネ 、 ジュリオ・フレゴージ と共演した「リゴレット」の有名な四重唱では絶対の貫禄を見せている。「アイーダ」の全曲録音では、ジャンニーニではなく、ミンギーニ・カッタネオのアムネリスが支配しているが、アムネリスの運命はアビシニアの王女[2]の運命以上に私たちを感動させる。
彼女の最も偉大な歌唱は、今日私たちが判断できる限りでは、1930年の「イル・トロヴァトーレ」でのペルティーレ、 アポロ・グランフォルテ ( 89048, 89105) 、 マリア・カレーナ との共演によるアズチェーナであることに相違あるまい。マンリーコの母親が「Stride la vampa!」で憎しみの記憶を吐露するシーンでは、歌声に感情が振動して聴く者に鳥肌を立たせる。「Ai nostri monti」でのペルティーレとミンギーニ・カッタネオのハーモニーが、深く間近に人生に響いてくるのは声の奇跡と言う他あるまい。この録音だけでも、イレーネ・ミンギーニ・カッタネオの素晴らしい歌声は忘れられないものとなるはずだ。
[Alex Natan]
[1] Frances Davis Alda (1897 - 1952) ニュージーランド生まれ、オーストラリア育ちのソプラノ歌手。彼女は20世紀の最初の30年間に、その卓越した歌声、優れたテクニック、カラフルな個性、そしてメトロポリタン・オペラでのエンリコ・カルーソとの舞台上での頻繁な共演により名声を得た。
[2] アビシニアは現在のエチオピア、1941年までの国名はアビシニアであった。「アビシニアの王女」は実在の人物。
露西亞遊記「男爵 正親町季董(おおぎまち すえただ)」著(大正戊午年、1918年発行)に、『アビシニアがフランスに滅ぼされ、王族は皆殺しにされたが、ただ一人、嬰児の王女だけが不思議にも助かって砂漠に捨てられていた。それを兵士がロシア帝都に連れて帰り、ロシア皇帝のもとで王女として待遇され貴族女学校で教育されたのがプリンセス・アビシニアである。年齢はもう30の上であろう、皮膚の色こそ真っ黒だが、起居振舞でも言語(仏語)でも立派な貴婦人である、親の顔も知らなければ同胞の顔も知らぬアビシニアの王女の心は、如何に物淋しいことであろう。』との記述がある。
露西亞遊記が発行されたのは1918年。ロマノフ家が処刑された年である。アビシニアの王女がさらなる不幸に見舞われた可能性が高い。
ミンギーニ・カッタネオ、このメッゾ・ソプラノは素晴らしい! とにかく声に力があります。Lebendige Vergangenheit シリーズは昔の声の集大成ですから、ごく普通のオペラファンにとっては一握りの伝説的な歌手を除けば知らなかった歌手の方が多いわけで、何を以って「埋もれていた」歌手と言えばいいのかわかりませんが、ともかく埋もれているのは勿体無い歌手であることは確かです。
「イル・トロヴァトーレ」の "Stride la vampa… Condotta ell'era in ceppi" メゾ・ソプラノではお決まりのアリアですが、迫真の歌唱です。「アイーダ」の "L’abborita rivale a me sfuggia" もアビシニアの王女の悲運がいかほどのものか知らないので比べようがありませんが、カッタネオは素晴らしい声で歌います。デリラのアリアも感動します。
「ジョコンダ」で歌っているアポロ・グランフォルテも甘くて美しい声のテノールです。
Comment On Facebook