FRIDA LEIDER (1888 - 1975)
- Gluck - Armide: Ah! si la liberté (1928)
- Mozart - Don Giovanni: Or sai chi l'onore (1928)
- Beethoven - Fidelio: Abscheulicher!…Komm, Hoffnung (1928)
- Wagner - Siegfried: Heil dir, Sonne! (1927)
- Wagner - Tristan Und Isolde: O sink' hernieder, Nacht der Liebe (1929)
- Wagner - Tristan Und Isolde: Mild und Leise, "Liebestod" (1931)
- Wagner - Parsifal: Ich sah' das Kind an seiner Mutter brust (1931)
- Wagner - Wesendonck Lieder: Schmerzen (1931)
- Wagner - Wesendonck Lieder: Träume (1928)
co-starring - - - Rudolf Laubenthal 4 Lauritz Melchior 5
With Orchestra conducted by Sir. John Barbirolli 1 - 3 & 9
Berlin State Opera Orchestra conducted by Leo Blech 4
Berlin State Opera Orchestra conducted by Albert Coates 5a
London Symphony Orchestra conducted by Albert Coates 5b
London Symphony Orchestra conducted by Sir. John Barbirolli 6 - 8
フリーダ • ライダーはワーグナーのヒロインたちに人間味を与え、それによって新しいタイプのワーグナー歌手像を生み出した。彼女はドラマチック・ソプラノの中でも、イタリアオペラとワーグナーのレパートリーの両方で名を馳せた特別な存在であった。最近ではビルギット・ニルソンがそのような歌手の代表である。
1888年4月18日、ベルリンに生まれたフリーダ・ライダーは、ベルリンの銀行で働きながら、自由な時間に歌を学んだ。ベルリンでオットー・シュヴァルツに師事。1915年、ハレの市立劇場で「タンホイザー」のヴェーヌス役でデビュー。次の舞台は1916年にロストックで、1918年までそこを居とした。ロストック劇場のオペラ部門にはヘルデンテノールがいなかったため、フリーダ・ライダーは主にイタリアオペラとモーツァルトのオペラを歌った。
1918年にケーニヒスベルク[1]の歌劇場に移り、1920年にはハンブルク市立劇場と契約。そこでは、20世紀初頭のワーグナー・ソプラノの中で最もよく知られた歌手の一人である テア・ドリル・オリッジ [2]の後任として活躍した。デビューは「フィデリオ」のレオノーレ役で、その後は「アイーダ」を歌った。3シーズンでワーグナー上演の全ての役を歌い、それと同時にアリアドネ、ドンナ・アンナ、そして数々のイタリアオペラの役を歌った。1921年、イゾルデ役で客演していたフリーダ・ライダーは、 Max von Schillings(マックス・フォン・シリングス)によってベルリン国立歌劇場に招聘された。ベルリン国立歌劇場では1923年からの公演で大成功を収めることとなった。エーリヒ・クライバーの下では「フィデリオ」の新演出でレオノーレを歌った。
ロンドンのコヴェント・ガーデンには1924年に「イゾルデ」でデビューした。フリーダ・ライダーはロンドンでは常に歓迎され、ワーグナーの役に加えて、ドンナ・アンナ(ドン・ジョヴァンニ)、レオノーラ(イル・トロヴァトーレ)、アルミーダ(ハイドン)などのイタリアオペラの役を歌っていた。1928年にはバイロイト音楽祭に初出演し、ブリュンヒルデとクンドリー(パルジファル)を歌った。同年、シカゴ・オペラで「ワルキューレ」のブリュンヒルデ役でデビュー。4シーズンにわたり、イゾルデ、ヴェーヌス(タンホイザー)、レオノーレ(フィデリオ)、レヒャ(ユダヤの女の Recha[3])、アメリア(仮面舞踏会)、クンドリー、マルシャリン(ばらの騎士)、モナリザ(マックス・フォン・シリングスのオペラ)を歌い、シカゴ・オペラ最大のスターの一人となった。契約終了後、すぐにメトロポリタン歌劇場に雇われ、1933年1月16日にイゾルデ役でデビュー。メトロポリタン歌劇場にはわずか2シーズンの所属であり、彼女はワーグナーの役しか歌っていない。1931年にはブエノスアイレスのテアトロ・コロンに出演し、1927年にはミラノ・スカラ座で初めてブリュンヒルデをイタリア語で歌った。
1938年、フリーダ・ライダーのオペラ活動はあっけなく終わった。彼女はベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスター、ルドルフ・デマンと結婚していたが、夫がアーリア人ではなかったため、1938年にスイスへの移住を余儀なくされたのである。
それ以来、フリーダ・ライダーはオペラの舞台を踏むことはなかった。私たちが彼女の声を聴くことができるのは、伴奏者として有名なミヒャエル・ラウハイゼンが、彼女の歌のレパートリーを増やし、一緒にリサイタルを開くように説得してくれたおかげである。
彼女がコンサート歌手として最後に登場したのは、1946年2月16日、同僚であり友人でもある マルガレーテ・クローゼ (89082, 89583)と共演したリサイタルだった。後年、フリーダ・ライダーはオペラの演出家に転向した。彼女が達成した最高の演出は、1947年秋にヴィルヘルム・フルトヴェングラーが指揮した「トリスタン」である。フリーダ・ライダーは晩年を故郷のベルリンで過ごし、1975年6月4日、同地で死去。
[Clemens Höslinger]
[1] ケーニヒスベルクで活躍した哲学者、数学者は多い。オイラー、カント、ゴールドバッハ、E.T.A ホフマン、ヒルベルトなど。オイラーの「ケーニヒスベルクの橋の問題」でこの都市名を知る人も多い。第二次世界大戦後、紆余曲折を経てカリーニングラード(ロシア)となって現在に至る。
[2]「Les introuvables du chant Wagnérien: Café Lohengrin」には、「大物の歌手テア・ドリル・オリッジの後を継いだハンブルクでは、思い切ったことをしなければならなかった。フリーダ・ライダーは、彼女の最初のイゾルデを歌った…」との記述がある。
[3] 正規の配役名は Rachel(ラシェル)、Recha は通常ならあり得ない表記だが、Franz Völker もアリア「Rachel, quand du Seigneur la grâce tutélaire」をドイツ語で「Recha, als Gott dich einst …」と歌っており、当時のドイツ語上演では Recha だったらしい。(89005を参照)
さすがにワーグナー歌手、疲れを知らない強靭な声です。このディスクのナンバーはほぼワーグナーで占められていますが、No.5 の「トリスタンとイゾルデ」ではメルヒオールとのデュエットが聴けます。1929年の録音ですからフリーダ・ライダーがシカゴオペラに在籍していた時で、メルヒオールは多分メトで歌っていたでしょうから、レコーディング・セッションならではのペアですね。このシリーズのライナーノーツは本当に良く練られていて役に立ちます。
モーツァルトではドンナ・アンナ、これしか歌う役がないように思います。モーツァルトの時代は重いソプラノの役がまだなかったような気がします。思い付くのは「イドメネオ」のエレットラくらいですが、エレットラはルチアーナ・セッラのようなコロラトゥーラが歌っている例もあります(1994年9月28日、メトロポリタン・オペラでドミンゴのイドメネオ、セッラのエレクトラで上演されている)。
ライダーのドンナ・アンナは表現を前面にに押し出すような迫力ある歌唱です。でも、イタリア語が聞き取れませんね・・・どの歌手が歌ってもこんな感じなので仕方ないんですね。
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