AURELIANO PERTILE (1885 - 1952)
- Donizetti - Lucia di Lammermoor: Sulla tomba che rinserra (1930)
- Donizetti - La favorita; Una virgine, un angiol di Dio (1930)
- Donizetti - La favorita; Spirto gentil (1930)
- Rossini - Guglielmo Tell; Ah ! Matilde io t'amoVerdi - Luisa Miller; Quando le sere al placido (1927)
- Verdi - Il trovatore; Ah! si ben mio coll'essere (1927)
- Verdi - Il travatore; Di quella pira (1928)
- Verdi - La Forza del destino; O tu che in seno agli angeli (1928)
- Verdi - Otello: Si, pel ciel marmoreo giuro (1928)
- Bizet - Carmen: Sei tu? Son io! (1932)
- Ponchelli - La gioconda: Cielo e mar (1928)
- Puccini - Manon Lescaut: Tra voi belle (1929)
- Puccini - Manon Lescaut: Donna non vidi mai (1929)
- Puccini - Manon Lescaut: Ah! Manon mi tradisce (1930)
co-starring - - - Anna Rozsa 1 Benvenuto Franci 4, 9 Emma Lattuada 7 Giuseppe Nessi 7 Aurora Buades 10
With Orchestra conducted by Rosario Boudon 1 & 2,4 - 6, 9 &14
With Metropolitan Chorus and Orchestra conducted by Giulio Setti 7 & 8
Members of La Scala Orchestra, Milan conducted by Franco Ghione 3,10 - 13
今世紀の最も偉大な歌手であり、イタリアのテノールのレパートリーを世界的に有名にした二人が、同じ場所で同じ年に生まれたというのは、不思議な運命のように思われてならない。 ジョヴァンニ・マルティネッリ (89062) とアウレリアーノ・ペルティーレである。場所はパドヴァ近郊のモンタニャーナ、年は1885年、年齢の差は数日でしかない。
出自、年齢、活動範囲などの共通点はあっても、二人の歌手のキャリアは異なっていた。
マルティネッリは1913年からメトロポリタン歌劇場に所属していたが、ペルティーレはミラノのスカラ座に所属していた。また、両者の道のりには大きな違いがあった。マルティネッリは当初、歌手になるつもりはなかったようで、軍隊にいた時の音楽テスト中に偶然にも彼の声が見出された。
一方、アウレリアーノ・ペルティーレは、若い頃から音楽の道を志していた。子供の頃は教会の聖歌隊で歌っていたが、後に本格的に音楽と音楽理論を学んだ。1906年にはパドヴァのマエストロ V. オレフィーチェから歌のレッスンを受け、その後ミラノのババニョーリにも師事した。彼がオペラ歌手として初めて公の場に登場したのは1911年2月で、ヴィチェンツァでのフロトーの「マルタ」のライオネル役であり大きな成功を収めた。すぐに多くのレパートリーを獲得し、その後、イタリア全土や南米の歌劇場から引っ張りだこになった。1916年にはミラノのスカラ座に招かれたが、戦争のために数年間の閉鎖を余儀なくされたため、当分の間はそれは叶わなかった。
1921/22年のシーズンにはメトロポリタン歌劇場で歌っていたが、1922年にスカラ座が再び開場すると、ミラノに戻ってきた。その後10年間、スカラ座の指導者として活躍したアルトゥーロ・トスカニーニの薫陶の下、ペルティーレはこの時代の伝説的なイタリア・オペラ・アンサンブルの中で、最も優れた主役の一人へと成長していった。
1937年に正式に舞台を去るまでは、スカラ座で最も誇られるメンバーの一人であった。
1940年まではスカラ座で不定期に公演を行っていた。その間、ロンドン、パリ、ブリュッセル、ベルリン、ウィーンで客演を行った。ヴェローナのアリーナでの演奏は特に人気が高く、ウィーンの「ホーエ・ヴァルテ」の野外ステージでの演奏は今だに忘れられることはない。オペラの舞台から引退した後も、コンサートやラジオで頻繁に歌っていた。晩年は声楽教師として活躍した。
ペルティーレのレパートリーは、イタリアのテノール役、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニのオペラの全てに及んだ。主たるものはドラマチックなパートである。燃えんばかりの舞台は、彼をイタリア・ヴェリズモオペラで最も偉大な歌手へと押し上げた。ラダメス、マンリーコ、オテッロ、アンドレア・シェニエ、カニオ、ネローネ(ボーイト、およびマスカーニ)は特に有名になった。ペルティーレは、マスカーニ、ヌゲス、ヴォルフ=フェラーリ、モンテメッツィ、ザンドンナーイの世界初演オペラに数多く参加し、フランスのレパートリー(「カルメン」、「フラ・ディアヴォロ」、「ルイーズ」)やワーグナー歌手(ローエングリン、ヴァルター・フォン・シュトルツィング)としても大成功を収めた。ペルティーレは「トスカニーニの声」の原型として声楽芸術の歴史に名を残している。ペルティーレはトスカニーニが容赦なく要求したすべてを実現した。すなわち、音楽的であり、機知に溢れ、感情表現に優れ、芸術的なフレージング・・・これらにおいてペルティーレに並ぶテノールはいなかったのである。トスカニーニはしばしばペルティーレをお気に入りのテナーと呼んでいた。
ペルティーレの強烈なテノールの声は、多くの録音に保存されており、それらは私たちが恩恵を受けている中でも最も素晴らしく、かつ貴重なものである。
[Clemens Höslinger]
この人の声は本当に素晴らしい。比べられるテノールが思い浮かばない。中低域から高音域まで力強い声質が均一のまま保たれている。パヴァロッティは声がずっと軽いし、ドミンゴは高音が甲高くなります。ペルティーレみたいなテノールをロブスト と呼ぶのでしょうね。もちろん、ペルティーレのレパートリーはロブストの声が要求されるような役以外にたくさんありますが。
・・・ひとり思い出しました。ジュゼッペ・ジャコミーニ (Giuseppe Giacomini) 、どっしりとした声の素晴らしいテノールです。もっと有名になるべきだったテノールだと思います。声が録音として残るようになってから、レコード出した者勝ちですね。メジャー・レーベルがなぜジャコミーニのCDを出さなかったのか不思議でなりません。大物の指揮者のお気に入りの歌手にならなければ世間に周知されない世界なんだと思います。
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