GIACOMO LAURI VOLPI (1894 - 1979)
- Bellini - Norma: Meco all'altar di venere (1928)
- Bellini - I Puritani: A te, o cara, amor talora (1928)
- Verdi - Rigoletto: Ella mi fu rapita (1934)
- Verdi - Aida: Pur ti riveggo, mia dolce Aida / Aida; Ma, dimmi: per qual via (1929)
- Gounod - Faust: Salut! demeure chaste et pure (1930)
- Bizet - Carmen: La fleur que tu m' avais jetée (1930)
- Offenbach - Les Contes d'Hoffman: Il était une fois à la cour d'Eisenhach (1929)
- Ponchielli - La Gioconda: Assassini! quel crin venerando (1929)
- Gomes - Lo Schiavo: Quando nascesti tu (1928)
- Meyerbeer - L'africana: O Paradiso (1934)
- Giordano - Andrea Chenier: Un dì all'azzurro apazio (1934)
- Puccini - Manon Lescaut: Ah, non v'avvicinate! (1934)
- Puccini - Madama Butterfly: Addio, fiorito asil (1934)
- Puccini - Tosca: E Lucevan le stelle (1928)
co-starring - - - Elisabeth Rethberg 4 Giuseppe De Luca 4 Luigi Borgonovo 12, 13
With Orchestra conducted by Rosario Bourdon 1 & 2, 4 - 6, 9 & 14
With Metropolitan Chorus and Orchestra conducted by Giulio Setti 7 & 8
Members of La Scala Orchestra, Milan conducted by Franco Ghione 3, 10 - 13
エンリコ・カルーソーが1921年8月2日にキャリアの頂点にあって亡くなった時、「テノールの王様」の喪失を音楽界全体が嘆いた。この悲劇的な出来事は、イタリアのテノール界において驚くべき進化がまさにこの時期に起こっていたことで幾分緩和された。 ジョヴァンニ・マルティネッリ (89062) は絶頂期にあり、 ベニャミーノ・ジーリ は理想的なリリック・テノールへの道を歩み始め、 アウレリアーノ・ペルティーレ (89007, 89072, 89116) は輝かしいキャリアをスタートさせ、スペインの素晴らしい3人組 アントニオ・コルティス、 ミゲル・フレータ (89002, 89093, 89179) 、 ヒポリート・ラザーロ (89147) はその力の頂点にあり、 ジョン・オサリヴァン 、 ジュゼッペ・タッカーニ (89173) 、 ニーノ・ピッカルーガ (89179, 89700) などの名前は、声の豊穣期として賞賛されるべき時代である証である。その幸運なテノールの時代を代表する人物に、ジャコモ・ラウリ・ヴォルピがいる。
1894年、ローマからそれほど遠くない場所で生まれた彼は、弁護士を目指しローマ大学で法学を専攻した。在学中にサンタ・チェチーリア音楽院に入学し、当時の学長であった アントニオ・コトーニ が歌の師となった。後にベニャミーノ・ジーリの師である エンリコ・ロザーティからもレッスンを受けた。イタリアが戦争に突入すると、ラウリ・ヴォルピは歌手になるための練習を中断せざるを得なくなり、軍隊に徴兵され、4年間は兵士として前線で活躍した。しかし、終戦後まもなく歌手として活動を始めることができた。
オーディションの結果、1920年1月1日にはローマのコスタンツィ劇場と契約を結んだが、彼の最初の出演はその数ヶ月前の1919年9月2日、ベッリーニ『清教徒』のアルトゥーロ役であった(ヴィテルボのサンタ・ローザ劇場で、ジャコモ・ルビーニ[1]と名乗って歌っている)。その後、同じ劇場でヴェルディの『リゴレット』のマントヴァ公爵を歌ったが、その時は本名で出演した。1920年1月3日、彼はローマで、有名なソプラノ歌手 ロジーナ・ストルキオ と共演してマスネ『マノン』のデ・グリューを歌って大成功を収めた。その年の5月、ローマのアンサンブルは南米ツアーを行い、ラウリ・ヴォルピはマントヴァ公爵、デグリュー、そしてアルマヴィーヴァ伯爵として輝けるチャンスを得た。この時、ミラノの録音会社フォノティピア・カンパニーと契約を結び、コスタンツィ劇場との契約を破棄してイタリアに戻った。その後、イタリアとスペインのいくつかの歌劇場で歌ったが、契約は結ばれていなかった。1922年にはミラノのスカラ座で初舞台を踏んだが、アルトゥーロ・トスカニーニとの間に深刻な音楽的相違があり、それ以降の契約は打ち切られた。後になって見解の相違は解消され、ラウリ・ヴォルピはトスカニーニの指揮の下で頻繁にスカラ座や様々な場所で歌っている。
1923年から1933年までの10年間、メトロポリタン歌劇場に所属し、イタリアのテノール役で大成功を収めた。この時期では、スポンティーニの「ラ・ヴェスターレ」(ローザ・ポンセル との共演)、「トゥーランドット」のプレミエ公演〔 マリア・イェリッツァ (89079) との共演〕、そして「ルイザ・ミラー」が記憶されるべき公演である。1933年3月6日、ベッリーニの「夢遊病の女」がラウリ・ヴォルピの最後の出演となった。この時もまた、彼の退団の理由は音楽的な相違であった。それ以降、世界的なエリートの仲間入りを果たしたラウリ・ヴォルピは、主にイタリアで歌っていたが、南米、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーでも客演した。1943年にはスペインに住み、彼の音楽は特別に高く評価された。第二次世界大戦後、故郷イタリアに戻り、パワフルな声の歌手としてのキャリアは続き、最も有名な役であるマントヴァ公爵とマンリーコで成功を勝ち得た。1952年にはヴィースバーデン歌劇場で熱狂的な歓迎を受け、その年と翌年にはローマとフィレンツェでマリア・カラスとの共演で「トロヴァトーレ」と「清教徒」でセンセーショナルな成功を収めた。ラウリ・ヴォルピのキャリアはさらに数年続き、彼の声が魅力的な輝きを失うことはなかった。
最高位にあるベルカント歌手として、ジャコモ・ラウリ・ヴォルピは声楽芸術の歴史の中で重要な位置を占めている。彼の声には、特別なビブラートが明白な色をもたらせていて、広がりはそれほどでもなかったが、良く通る声の力を持っていた。同時代のイタリアのテノールの中で、彼は最も音楽的に多才であった。キャリアの最盛期には、「ランメルモーアのルチア」のエドガルドと「オテロ」のような相反する役を歌うことができた。スポンティーニ、ドニゼッティ、ベッリーニなどの古いイタリアのベルカントオペラの難しいテノールの役を、卓越した声のテクニックによって、理想的な方法で上品さを保ったまま歌うことができた。この分野でラウリ・ヴォルピは、 フェルナンド・デ・ルチア や アレッサンドロ・ボンチ (89525) のような、最も完璧なベルカント歌手と比較されてしかるべきである。彼の声は、特に高音域と最高音域(ハイDまで)では勝利に満ちた輝きを放っていた。ラウリ・ヴォルピは教師としても結果を残しており、歌唱法についての学識の深い本を数多く書いている。
[Clemens Höslinger]
[1] 19世紀前半の大テノール、ジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニに拠っていると同時に、当時 Giacomo Volpi と同名のテノール歌手がいたためと思われる。
まさにベルカントですね。ラウリ・ヴォルピに限らず、この時代の歌手は正統なベルカント時代の声を継承していますね。最初の2曲、ベッリーニはあまり好きな作曲家とは言えないのですが、アリアが嫌いなわけじゃなく、ヴォルピはベルカントのお手本のような歌唱です。僕はカレーラスが好きでしたが、ベルカントじゃありません。次の2曲は「リゴレット」と「アイーダ」・・やっぱりヴェルディはいい。高揚感があってグイグイ音楽に引っ張られる感じが好きです。
グノー、ビゼー、オッフェンバックはいずれもフランス語で歌っています。「ファウスト」の中のアリア "Salut! demeure chaste et pure, où se divine La présence d'une âme innocente et devine!" はどのテノールもファルセットでは歌わないのですね、今回ちょっと気になったので聴き較べてみました。ヴォルピも胸声で歌っています、最高音は Hi-C です。テノールなら誰でも緊張する瞬間でしょう。不調な時の本番の舞台ならファルセットで歌うでしょうが、僕はそれも嫌いじゃありません。
アンドレア・シェニエ(好きなアリアです)、それからプッチーニ3曲。ヴォルピは変わらず素晴らしい歌唱を聴かせてくれますが、やはりヴェリズモはベルカントの延長ではありませんね。ヴェルディとプッチーニの間には大きな溝があるような気がします。さすがのヴォルピも少し懸命さを感じます。このあたりはジーリが上手いのではないかと思いますが、Lebendige Vergangenheit シリーズにジーリはありません。どのような編集方針なのか、あるいは著作権上の問題なのかわかりませんが、超有名歌手が選ばれていない例がかなりあります。例えば、ガリ=クルチ、ローザ・ポンセル、ライナーの中では何回も触れられているこの二人のソプラノは、このシリーズに取り上げられていません。
Comment On Facebook