Marjorie Lawrence (89011)

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Marjorie Lawrence (89011)

MARJORIE LAWRENCE (1909 - 1979)

  1. Reyer - Sigurd[1]: Salut, splendeur du jour (1934)
  2. Reyer - Sigurd: O palais radieux (1934)
  3. Wagner - Lohengrin: Allons! debout! compagne de ma honte (1933)
  4. Wagner - Lohengrin: Elsa! . . . Qui vient? (1933)
  5. Wagner - Die Walküre: Bride ton cheval, fille vaillante (1933)
  6. Wagner - Die Walküre: Ai-je à ce point mérité qu’on me blâme (1933)
  7. Wagner - Götterdämmerung: Qu’un bûcher s’élève; là-bas (1933)
  8. R.Strauss - Salome: Tu n’as pas voulu (1934)

co-starring - - - Martial Singher 3 Yvonne Brothier 4 Jean Claverie 5
Orchestra de l'Association des Concerts Pasdeloup. dir. Piero Coppola

マージョリー • ローレンスは1909年2月17日、オーストラリアのメルボルン近郊で生まれた。 ジョン・ブラウンリー の指導者であった アイボア・ボンステッド から初めて声楽の手ほどきを受ける。1928年、祖国の町で開催されたコンテスト、ジーロング・フェスティバルで優勝し、父がパリ行きを許し、パリでは セシル・ギリー に弟子入りした。1932年2月、モンテカルロで ジョルジュ・ティル (89168) と共演した「タンホイザー」のエリザベート役でデビューを成功裡に飾った。
にもかかわらず、彼女はキャリアをスタートさせるのは難しいと感じていた。特に ジェルメーヌ・リュバン (89176) が、フランスを代表するドラマティック・ソプラノとして確固たる地位を築いていた。 ジャック・ルーシェ はローレンスをパリ・オペラ座に招きながらも、なぜか数シーズンの間彼女を登用しなかった。リールで「ワルキューレ」と「アイーダ」に出演し、オペラ・コミークと再契約を結んだ後、ルーシェからオペラ座のメンバーとして招聘された。

1933年2月25日、エルザ役のルヴァンとの共演で、オルトルート役(ローエングリン)で出演しオペラ座にセンセーショナルなデビューを飾った。最初の年には、「ワルキューレ」と「神々の黄昏」のブリュンヒルデ、マスネ「エロディアード」のサロメ、「ユダヤの女」の Racel(ラシェル)〔共演者: ポール・フランツ (89099)〕 、「アイーダ」、そしてカントルーブの「ウェルキンゲトリクス」(フランス語読み:ヴェルサンジュトリクス)の世界初演に マルテ・ネスプーロス 、 ジョルジュ・ティル (89168)、 アンドレ・ペルネ と共演した。1934年にはレパートリーにドンナ・アンナ、シュトラウスのサロメ、レイエ「シギュール」[1] のブリュンヒルデを加え、さらにパリでは「ユグノー教徒」のヴァランティーヌ、そして驚くべきことにイゾルデ役のリュバン、ブランゲーネ役のローレンスとして再び二人は共演した。

メットとも契約し、ブリュンヒルデでデビューした。その時の共演者は、 ラウリッツ・メルヒオール (89032, 89068, 89086) 、 フリードリヒ・ショル (89052, 89127) 、 エリーザベト・レートベルク (89051) 、指揮は ボダンツキーであった。同シーズンに彼女はすべてのブリュンヒルデ(3役)、 ロッテ・レーマン ( 89189) とレートベルク との共演でオルトルート、そして ジョヴァンニ・マルティネッリ (89062) のラシェルと共演してエルザを歌った。
1936年にはブエノスアイレスで、ラモーの "Castor et Pollux" の中の役 Télaïre に加えて、クンドリー(パルジファル)、ゼンタ(さまよえるオランダ人)を歌っている。

1937年にはリヨンで初めてのイゾルデに挑戦し、メットでは キルステン・フラグスタート(89141, 89514, 89625) と交互にブリュンヒルデを演じた。1938年夏にはソポト (Zoppot) に招かれ、 ロベルト・ヘーガー の指揮でブリュンヒルデを歌った。12月にはメトロポリタン歌劇場の新プロダクションでサロメを演じ、同劇場ではタイスも彼女の主役で追加公演された。
新しい役としては、サンフランシスコのジークリンデ(のちにメットでも)、カルメン、そしてメトロポリタン・ツアーでのトスカなどがある。1941年には、ニューヨークで「アルセスト」(グルック)という素晴らしい役が与えられた。マージョリー・ローレンスは、9年間のキャリアの中で、最も過酷で要求の厳しいドラマティックな役を最初から歌ってきたという、驚くべき力業を成し遂げてきたのである。

彼女の声は完全に成熟しており、輝くハイCは他の音域と変わらぬ力強さを示していた。メキシコでの客演では、カルメン、サロメ、ブリュンヒルデを歌う予定だったが、最初のリハーサルのヴォータンとのシーンの後、急に足が立たなくなった、小児麻痺だった。しかし彼女がこの恐ろしい運命と戦い勝利したことは、敢えて記す必要もないであろう。1941年の冬にはすでにラジオで歌うまでに回復していたのだ。1942年には親友の ラウリッツ・メルヒオール (89032, 89068, 89086) と共に「タンホイザー」のヴェーヌス役で招かれた。この成功の後、彼女はメットでイゾルデを歌い(モントリオールではビーチャムの指揮で)、また戦地で広範囲にツアーを行い、その声が損なわれていないことを証明するだけでなく、兵士たちに勇気と高潔な心の見事な例を示した。

戦後はパリ・オペラ座に戻り、かつての仲間たちとの共演で「アムネリス」を歌った。ペニシリン・ガラでの『アルセスト』 より「Divinités du Styx[2]」 と、サッフォーのアリアは、彼女の声がかつてないほどの輝きを持っていることを完璧に証明した。マージョリー • ローレンスは図らずも名声の絶頂期に引退することができた。決して力を失うことのない彼女の声は、常に輝きと強靭さを持ち、世界の一流オペラハウスの門戸を開いた二つの曲、 "O don fatale"[3] と "Entweihte Götter"[4] の跳躍と難解なクライマックスを難なくこなしていたにもかかわらず。
彼女は難病に打ち勝たなければならないこの状況に意志とエネルギーを注いだのだが、そのキャリアに終止符が打たれることとなった。このような声と才能を持ち、素晴らしい人間性を持った人が、フラグスタートのように長いキャリアを積むことができなかったことは、ただただ悲しむべきことである。マージョリー • ローレンスは1979年1月10日、アーカンソー州リトルロックで亡くなった。
[André Tubeuf]

[1] エルネスト・レイエ (1823 -1909) はマルセイユ生まれのフランスの作曲家。オペラ「シギュール」はドイツ語ではジークフリート、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の異種版のようなオペラである。あまり知られていない作品だがこのオペラの中には、当時比較的知られていたテノールのアリアもある。他に彼が作曲したオペラには、「ラ・スタチュー」「サランボー」がある。
[2] "Divinités du Styx":グルックのオペラ『アルセスト』第一幕の最後に歌われるアルセストの壮大なアリア「三途の川の神々よ」
[3] "O don fatale" : 『ドン・カルロ』- エボリ公女
[4] "Entweihte Götter" : 『ローエングリン』- オルトルート

オペラ「シギュール」のブリュンヒルデのアリア;"Salut, splendeur du jour" を聴くと、出だしは「あれ? こんなワーグナーの曲あったっけ」みたいな感じですが、すぐにフランス・オペラっぽくなります。ですが、しばらくしているとまたワーグナーが聴こえてきます。一つでドイツ・オペラとフランス・オペラの両方を楽しめるお得なオペラのようです。ちなみに、ワーグナーは「シギュール」の作曲者のレイエをとても評価していたそうです。
ですから、1曲目と2曲目はワーグナー・ソプラノが歌うブリュンヒルデを聴いているつもりでいればマージョリー • ローレンスの真髄を知ることができるのではないでしょうか。3曲目から6曲目まではローレンスが本領を発揮できる本物のワーグナーです。高音も決して絶叫になったりしない力強く美しい声を聴くことができます。ワーグナーはいつも同じフレーズを歌っているように聴こえることがありますが、ライトモチーフのおかげで「そうか、神々の黄昏だったんだ」と、ふと我に帰ることがあります。ホッとする瞬間です。

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